西条町田口に「東子」(あずまこ)と呼ばれる字(あざ)がある。域内には「吾妻子の滝」(東子の滝)という落差15m程の立派な滝があり,市内ではよく知られた地名である。
ここにひとつの伝説がある。
吾妻子の滝は,元「千尋の滝」と呼ばれていた。平安時代末の治承4(1180)年,平家追討のため以仁王の令旨に応じて挙兵した源三位頼政が平家に破れ,自害すると,その室菖蒲の前(あやめのまえ)は追手を逃れ,幼子とともに安芸国賀茂郡西条千尋の滝の岩屋に身を隠した。しばらく後,幼子は病死し,悲嘆にくれた菖蒲の前は,「吾妻子や千尋の滝のあればこそ広き野原の末をみるらん」との和歌を詠じた。それ以来,千尋の滝は吾妻子の滝と呼ばれるようになり,滝のある一帯を東子と呼ぶようになったと伝えられる。
菖蒲の前の伝説は,市内の各所に残り,西条盆地の伝説に彩を添えている。
しかし,江戸時代末期に書かれた「田口村国郡志御用ニ附下調書出帳」によれば,「東子」の地名は,田口村を大きく3つに分けた際の呼び方,西から「西郷」「中郷」「東郷」(あずまごう)のうち,「東郷」が誤って東子と書かれたものであり,滝も「東郷の滝」であったものが,「東子の滝」とされたものであるとしている。現在の田口にも「中郷」の地名は残っており,ロマンチックとはいい難いが,どうもこちらの方が真相に近そうである。菖蒲の前の伝説は,東子の地名から連想された創作と考えたほうが良いのかもしれない。