2007年6月8日金曜日

ひがしひろしまの地名 その2 「東子」

 西条町田口に「東子」(あずまこ)と呼ばれる字(あざ)がある。域内には「吾妻子の滝」(東子の滝)という落差15m程の立派な滝があり,市内ではよく知られた地名である。
 ここにひとつの伝説がある。
 吾妻子の滝は,元「千尋の滝」と呼ばれていた。平安時代末の治承4(1180)年,平家追討のため以仁王の令旨に応じて挙兵した源三位頼政が平家に破れ,自害すると,その室菖蒲の前(あやめのまえ)は追手を逃れ,幼子とともに安芸国賀茂郡西条千尋の滝の岩屋に身を隠した。しばらく後,幼子は病死し,悲嘆にくれた菖蒲の前は,「吾妻子や千尋の滝のあればこそ広き野原の末をみるらん」との和歌を詠じた。それ以来,千尋の滝は吾妻子の滝と呼ばれるようになり,滝のある一帯を東子と呼ぶようになったと伝えられる。
 菖蒲の前の伝説は,市内の各所に残り,西条盆地の伝説に彩を添えている。
 しかし,江戸時代末期に書かれた「田口村国郡志御用ニ附下調書出帳」によれば,「東子」の地名は,田口村を大きく3つに分けた際の呼び方,西から「西郷」「中郷」「東郷」(あずまごう)のうち,「東郷」が誤って東子と書かれたものであり,滝も「東郷の滝」であったものが,「東子の滝」とされたものであるとしている。現在の田口にも「中郷」の地名は残っており,ロマンチックとはいい難いが,どうもこちらの方が真相に近そうである。菖蒲の前の伝説は,東子の地名から連想された創作と考えたほうが良いのかもしれない。

2007年6月4日月曜日

豊栄町苦ノ辻出土の魚化石の紹介

1989年5月に、豊栄町吉原苦ノ辻で中生代白亜紀の魚の化石が発見されました。当地の地層は高田流紋岩で形成されており、その中の中生代白亜紀に形成された擬灰質泥岩層の中から発見したものです。これまでほとんど化石の報告がなかった高田流紋岩層中からの化石の発見というだけでなく、広島県では最も古いセキツイ動物化石の発見という意味で、大変意義深いものです。化石の分類名は、国立科学博物館の上野氏の鑑定により、以下のように判明しています。残念ながら頭部が欠けているため種の決定はできていません。現生の魚類ではニシン類の祖先と考えられています。化石が生息していた時代は地質図などの資料から中世代白亜紀と考えられています。  魚類片  硬骨魚網 class Osteichthyes 条鯵亜網 subclass Actinoptery 真骨魚下網 infraclass Teleostei 2000年8月に旧賀茂郡豊栄町教育委員会により豊栄町指定天然記念物となり、2005年2月の東広島市との合併により、現在は東広島市指定天然記念物となっています。  見学の際は、東広島市吉原公民館をお尋ねいただくと、現地の詳しい場所を教えていただけます。ぜひ一度広島県で最も古い化石の産出地を尋ねてみてください。